■ プロになるまで

●幼少時代
 兄と弟に囲まれ、髪も短く、スカートもはかないため、よく男の子に間違われました。 0才のときから毎夏1ヶ月は日本海(福井県・若狭湾)に滞在していたので、海が大好きな海っ子。 でも、絵を描いたり、伝記を読むことも大好き。そんな女の子でした。
 テニスをはじめたきっかけは、母がプレイしていたから。
 12才のとき、兄弟とともに朝日生命久我山のジュニア育成コースのテストを受けました。 兄は合格したのですが、私と弟は不合格だったため、「カベ打ち」の道へ……
●中・高校生活
 14才のおわり、カベ打ち通いの私を見て、母がJ.I.T.C.(自由が丘インターナショナルテニスカレッジ)のジュニア育成コースに連れていってくれました。今度は無事合格。それからは、すっかりテニスにのめり込んでしまいました。
 学校生活との両立は、かなり厳しかったです。毎朝3:00に起き、勉強をしてから学校へ。 そして授業が終わるとコートへ直行し、練習、トレーニング。10:00帰宅、10:40には眠るという 毎日。このころの私は、遊びに行くこともなく、ディズニーランドと映画に1回ずつ行ったくらいかなぁ?
 テニスの戦績はさっぱりで、18才以下全日本ジュニアに補欠で出場。でも、夢は大きく「ツアープロになる! 打倒グラフ!」でした。
●大学生活
 高校の校長先生の「テニスさせない」という弾圧にもめげす、猛勉強の介あって、なんとか聖心女子大学の推薦をギリギリでとり、入学できました。入学後、すぐに大学リーグ(2部)にフル出場。監督のクレバーな指導のおかげで、強い集中力がつき、自分のテニスの核ができあがりました。
 学校は華やかな六本木の隣なのに、花の女子大生らしいことは、一切なし。大学の講義、部活などでの練習、トレーニング、学生大会や一般 の大会へ出場……数えたらきりがないほど、本当に忙しい毎日。
 大学3年の時、がむしゃらにやってきた成果がみのり、通称「夏関」とよばれる関東学生で、うれしい優勝! これをきっかけに他のオープン大会も立て続けに優勝。ところが、「プロへの道に確実に近づいた」と感じていた矢先、大学4年の夏、無理のしすぎで膝を故障。手術をすることに。
 卒業後は、故障していてもなんでも、プロになることしか考えられませんでした。「『プロになろう』と決心していたときから貯めていたお小遣いを、使いきるまでやってみよう」。そう思いプロ申請をしました。
 そして現在に至るまで、プロプレイヤーを続けられているなんて、本当に幸せ♪

 ■ 92年3月 プロ申請 
●ケガのこと
 膝の故障は、手術のおかげで痛みも消え、さあ、これから! と思っていたとき、今度は左の肋骨にあった腫瘍のため、激しい痛みが……。また手術。リハビリを含め1年を棒に振ることになってしまいました。その後、復帰して2ヶ月もたたないうちにテニスエルボーに。半年は痛みをこらえたのですが、ついにまたSTOP。1年の休養。そして最初のケガからまる4年半経過し、やっと復活。でも、まるっきり勝てない。毎日トレーニングと練習を繰り返しているのに……。1球、1ポイントにドキドキする、つらい日々が続きました。
●転機 WAVEXとの出会い
 どん底の中で「あと1ヶ月やってダメなら、もうやめよう」と、本気で考えていた95年の夏、突然私に転機が訪れました。
 ある「試作ラケット」を試打することになった私は、そのラケットを手にし、ラリーをはじめました。その瞬間、私はこれまでにないフィーリングの一致を感じました。そしてプレイを続けるうちに、自分のテニスがよくわかるようになってきたのです。さらにうれしいことに、そのラケットを使って、試合に勝ってしまったのです! それが、フレームが波状になっているラケット「WAVEX」と私の衝撃的な出会いでした。
 「勝てなくてもいい。もう一度、集中した自分のゲームがしたい!」と思っていた私は、このラケットとの出会いで甦ることができました。97年には、なんと、自己最高の戦績とランキングを残すことができたのです。
 あのときに、あきらめなくて本当によかったと今でも思っています。そして、何事も乗り越えていけるという強い自信が生まれたことがプロになった最大の収穫!
 Never give-up!
 
 
 
 
 
 
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